雑記

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  • 2011.03.29

春立つや

今年もそろそろ桜が咲く季節になった。 震災、放射能、これからくる不況、、、そんなことを考えるととても春めいた気分にはなれないが、 桜に罪はない。 人にかまわず、季節はやってくる。 春になると思い出す小林一茶の句がある。 春立つや 愚の上にまた 愚にかへる 和歌や俳句というのは、データベースの遊戯である。 ある句から連想される景色なり感覚を、如何に過去のデータベースから探ってきて、 重ね合わせるか。 […]

  • 2011.03.28

ツイッターが大嫌い

なんです。僕は。 「ツイート」(つぶやき)という態度は、 「発言」とは異なる。 「発言」には責任がある。 でも「つぶやき」は公のものではないから、責任を免れ得る、という甘い考えがそこにはある。 もちろん「つぶやき」という行為自体に非はないが、 猫も杓子も、企業や政治家までもが自分の意見を「ツイート」するというのは、 潔さというか責任感が欠如しているような気がする。 つまり、何か言っても、「あれはつ […]

  • 2011.03.28

例の、「AERA」の件

なんか「AERA」とかいう雑誌が袋叩きにあってるらしいというんで、色々調べてみたが、僕には???状態。 なんでこれがここまで非難を浴びるのかが、全く理解できない。 自分の違和感がどこにあるのかを、以下にて分析。 ①そもそも日本人はマスコミを重視しすぎ 日本のマスコミのレベルは恐ろしく、低い。 これが官房長官の発表だったら大問題かもしれないが、 所詮は日本のマスコミ。 いちいち内容に一喜一憂する必要 […]

  • 2011.03.20

山頭火の一句

型破りで個性的な俳句が多い種田山頭火に、 彼にしては控えめだが、僕の好きな一句がある。 のぼりつめて 少しくだれば 秋の寺 単に「のぼってくだる」のではなく、 「のぼりつめて」、そして「少しだけ」「くだる」。 のぼりつめることによって極限まで高まった位置エネルギーを、 ほんの少しだけ解放する。 その緊張が若干緩んだところにあったのが、 「秋の寺」だというのが、なんとも心にくい。 「秋の寺」と聞けば […]

  • 2011.02.23

ヨルニナッタラ、アソビニオイデ

と書かれたpumaのポスターを、渋谷中で見かける。 これが、 夜になったら遊びにおいで と書かれていたら、 キャッチとしての効果は半減だろう。 漢字があると、(少なくとも日本人には)一目で意味が分かる。 しかし全部が「仮名」で書かれていると、 瞬時には意味が理解できず、それを「読んで理解する」という行為が発生せざるを得ない。 だからといって、新聞なんかが全部「仮名」で書かれていたら、 読みにくくて […]

  • 2011.02.09

本屋はテーマパーク

仕事の合間に時間が出来ると、つい本屋に立ち寄ってしまう。 まずは新刊書コーナーを物色。 ひととおり見渡せば、いま世の中で注目を浴びているトピックスは、大抵頭に入る。 次は新書コーナー。 新書というのは、ジャンルの分け隔てなく並んでいるので、 興味のあるいろいろな分野の本を一度に、手軽に探せて、便利だ。 食べ物屋でいうと、ファミレスみたいなもの。 その次は、科学のコーナーへ向かう。 科学書は古典的名 […]

  • 2011.02.08

ブログを書くということ

種田山頭火に、 焼き捨てて 日記の灰の これだけか という俳句がある。 ブログなんていうものは、HTMLのファイルが増えていくだけで、 日記のような「質量」としての実感が、まるでない。 山頭火のように燃やしてしまおうものなら、 PCもろもともあの世行き。 でも幸か、不幸か、サーバーには残る。 残る日記と、残らない日記。 果たしてどっちが良いのだろう。 最後に、パロディで一句。 飲みすぎて 財布の中 […]

  • 2011.02.01

病院にて

今日は約6年ぶりの人間ドック。 新宿にある某病院にて、 フロアを移動するためにエレベータに乗ったところ、 入院しているらしい男性の患者さんと一緒になった。 見たところ70歳前後だろうか。 カートのようなものにつかまりながらの歩行が、 何とも痛ましい。 エレベータの扉が閉まると、僕に話しかけてきた。 「もう10年もこの病院に通っていて、 病院はどんどん綺麗になるけど、こっちはどんどんオンボロになって […]

  • 2011.01.31

ここで一句

浮世亭主人、いざ出かけむ、と思ひ立ちて外に出でにけるが、 思ひのほか風の強く冷たきに困じて詠みける、 これでもか これでもかと 風の刺す 自ら評して曰く、風の刺すとは耳慣れぬ句なれども、苦しからず。 初句また次の句にて勢ひある語を続けたらむこそ、よろしけれ。

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