本・読書

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「徘徊老人の夏」(種村季弘)

僕はエッセイというジャンルが好きじゃない。 他人が何かをしたり、何かを考えたり、ということに全く興味がないからだ。 それだったら、堂々とフィクションである小説や、自然科学系の本の方が興味をそそられる。 それでも中には、その文章が好きだから思わずエッセイを読んでしまう、という貴重な作家もいる。 種村季弘はそんな作家の1人で、内容は別にどってことないのだけど(失礼)、なぜかその語り口に引き込まれていっ […]

「日本のかたち」

芸術、いや文化とは何か、と問われたら、それは「かたち」であると答えたい。 さらに踏み込むならば、「かたち」の発見と伝承、そして「かたち」に精神を吹き込むこと、と言ってもいい。 かつて西洋の誰かが、美しい音色を響かせるために、ヴァイオリンという楽器を作った。 そしてその楽器を、より弾きやすくより響きやすくするためには、曲線のフォルムが良いということを発見し、それは500年経った今でも伝承されている。 […]

「アーティストの言葉~美の創造主たちの格言~」

日本で「アーティスト」というと、不思議なことに(特にポップ・ミュージックの)演奏家を指すことが多いけれど、この本で採り上げているのは、画家・彫刻家を中心とした、いわゆる「芸術家」「デザイナー」と呼ばれる人々。 ダ・ヴィンチから始まり、セザンヌ、北斎、マグリット、イサム・ノグチ・・・と、実に多彩。 85人の「名言」を収録している。 芸術家の言葉というのは、断片的にフレーズだけ拾ってみても、イマイチ意 […]

「ポスターを盗んでください」(原研哉)

原研哉氏の本は、ほんの少しでも、「クリエイティブに関わっている」と思う人だったら、絶対に読んでほしい。 僕が(生存している・失礼・・)人を褒めることはまずないのだけれども、それだけこの人の書いている本は抜群に面白い。 というか、作家になった方がよいのでは、と思うぐらい味わい深い文章を書く。 パリはまだまだ、食べきれないカマンベール・チーズなのである。 なんて、並大抵の人間に書けるフレーズじゃないと […]

「大作曲家たちの履歴書・下」(三枝成彰)

前回紹介した上巻に引き続き、こちらが下巻。 僕の性格の問題か、上・下本だと、上巻を読み終わると下巻を読むのがえらく面倒臭くなるものだが、 今回はそんなことはなかった。 面白さは失速することなく、下巻も読みごたえ十分。 下巻で採り上げられている作曲家は以下の通り。 ヴェルディ ブラームスト チャイコフスキー フォーレ プッチーニ マーラー ドビュッシー R・シュトラウス シェーンベルク ストラヴィン […]

「大作曲家たちの履歴書・上」(三枝成彰)

評論家が書く作曲家伝なんかは、 ちっとも面白くないが、作曲家が書く作曲家伝は 面白いということに気付かせてくれたのが、この本。 上巻ではバロックから後期ロマン派までの10人の作曲家を採り上げている。 バッハ モーツァルト ベートーヴェン シューベルト ベルリオーズ メンデルスゾーン ショパン シューマン リスト ワーグナー 意外にも、シューベルトやベルリオーズなどは、日本ではあまり逸話を耳にする機 […]

「小川未明童話集」(小川未明)

2009年の暮れは、この童話集をコートのポケットに忍ばせていた。 電車に乗って降りるまでの間に1話が読める。そしてどれもがあったかい。 宮沢賢治があれだけ評価されるのなら、小川未明はもっと評価されなければ、おかしいと思う。 いや、というよりも、(少なくとも)わが国では童話や民話に対する評価自体が、不当に低いのではないだろうか。 漱石や鴎外のようなカタクルシイ文学こそが高尚なのであって、人魚が出てき […]

「東京見おさめレクイエム」(横尾忠則)

東京の地名とそれにまつわる有名人の思い出とを、 横尾節で語る短編エッセイである。 この類のエッセイは、大概が「土地褒め」だけで、どれもこれも似たような内容になるのだけれども、 そこは流石の横尾忠則。土地だけではなくむしろ人物の思い出がメインになっているので、読み応えがある。 例えば、こんなカンジ。 江戸川乱歩と銀座 夏目漱石と護国寺 泉鏡花と浅草 葛飾北斎と柳島妙見 太宰治と吉祥寺 水上勉と成城 […]

「俵屋宗達 琳派の祖の真実」(古田 亮)

いわゆる「琳派」という括り方がキライな自分にとって、宗達を「琳派の祖」と位置付けることは、常々納得できない、と思っていた。 それはテーマとか技法といったレベルの問題ではなく、「作品として向いているベクトルが違う」という感覚レベルの問題で、だからこそ一方で、それを明確に言葉にできないでいることがもどかしくもあった。 しかしこの本は、宗達とは何か、魅力はどこにあるのか、いわゆる琳派とは何が違うのか・・ […]

「振仮名の歴史」(今野真二)

日本語には、かな(ひらがな・カタカナ)と漢字があるから難しいとよく言われるが、それだけじゃない、振仮名という厄介なものまである。 ならいっそのこと、漢字を廃止すれば振仮名だって必要なくなるじゃないか、と思われるかもしれないが、そうはならないだろう。例えばひらがなだけの文の右側に、「漢字による振仮名」みたいなのが出現するだろうことは、容易に想像できる。 漢字というのは、表意文字であり、一種の絵文字で […]

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