印象派

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「ワシントン・ナショナルギャラリー展」(@国立新美術館)

マネの「鉄道」は、僕が絵を好きになったきっかけを与えてくれた一枚。 だから、めちゃくちゃ忙しくて半ばあきらめていたけれども、開催終了前日に何とか鑑賞。 でもやはり、マネの作品はうまく出来すぎていて、どうも物足りないことをあらためて実感。 モネは嫌味っぽいし、ゴッホは濃すぎる。ゴーガンには奥行きが足りないし、ルノワールは軽すぎる・・・・・ そんなとき、やっぱりスゲエな、と思わせてくれるのはセザンヌ。 […]

「セザンヌのエチュード」(ジャン=クロード・レーベンシュテイン)

こういう読みづらい本は困る。 原文が悪いのか、訳文が悪いのか、自分の読解力がないのか。 個々のセンテンスで云わんとしていることは分かるのだけれども、文章全体として見ると、よくわからない。 全体の構成力(レイアウト)に優れたセザンヌのエッセイとしては、皮肉としか言いようがない。 内容としては、セザンヌの人間性や彼を取り巻く環境にスポットを当てたものとなっていて、作品の本質に踏み込んだものではなかった […]

スーラとエーテル ~印象派とは異なる光の捉え方~

私はエーテル信者である、などと言うと、まるで宇宙人の存在を信じているというのと同じぐらいに、奇異な眼で見られるに違いない。 でも、かつて「空っぽ」だったと思われていた真空に「真空エネルギー」が見つかったように、 光を伝える媒体は、もしかしたらそれは「エーテル」という名では呼ばれないかもしれないが、必ずや存在すると思っている。 印象派の画家たちが光を描いたのであれば、スーラはまさに「エーテル」を描い […]

「ドガ展」(@横浜美術館)

静物画、肖像画、風景画。宗教画を除けば、絵画は静的なテーマであることが多い。 止まっているものを精緻に描く、あるいは動いているものの時間を止めて描く、 例えばドガと同時代の印象派の手法というのが、まさにそれだった。 けれどもドガの画は、動いているものをあたかも動いているかのように、 もっと言えば、時間を止めずに対象を描いた、数少ない画家であるかもしれない。 だから、ドガの画のテーマに、競馬やバレエ […]

「シャガール-ロシア・アヴァンギャルドとの出会い 展」(@藝大美術館)

古びた道具で、心の底を、ぐいっ、ぐいっ、と掘り起こしてくる・・・。 それが僕のシャガールのイメージ。だから「怖くて見れない」って、数か月前に書いた気もする。 あらためて言葉にしてみれば、それはおそらく、「幼児期に誰もが経験したような原初的な恐怖体験を呼び起こす」ような感覚と言えるかもしれない。 今でも覚えてる。まだ4~5歳のころ、遠出して車で帰宅するのに、太陽がどこまでも追いかけてくるのに怯えて泣 […]

「マネとモダン・パリ展」(@三菱一号館美術館)

ゲームやパソコンに限らず、芸術においても「ハードとソフトの問題」というのは、しつこく付き纏う。 この際、「三菱一号館美術館」というセンスの欠片もないネーミングには、百歩譲って目を瞑るとしよう。 しかしその、「ハードとしての美術館」のヒドさと言ったら、堪らない。 チケットを買って、いきなり狭いエレベータでアッパーフロアに移動させられ、移動したらしたで、狭い通路と人ゴミがそこには待っている。 やっと広 […]

「ルノワール -伝統と革新」(@国立新美術館)

草木が光合成に光を必要とするのと同様、印象派の画家にとって光は欠かせない要素です。 葉の色、水の色、土の色・・・それまでの既成概念を打ち破り、光による色の分解を試みました。 だから多くの印象派の興味が風景を描くことに向けられるのは自然な成り行きなのですが、 ルノワールの魅力は、その「印象派的色彩の解剖」を、人肌において行ったところにあるのではないでしょうか。 手のひらを見てみましょう。 それは単純 […]