古典

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「高倉院厳島御幸記」(源 通親)

  「creativityと移動距離は比例する」という格言(?)があるぐらい、 現代での長距離移動は当たり前になったが、 日本は国土が狭いと雖も、我々は定住が基本の農耕民族であり、 しかもかつての貴族たちにとっては、 移動とはそれこそ命がけの大事件であって、 そのことは『土佐日記』『伊勢物語』『源氏物語(須磨・明石)』などにもよく表れているし、 いわゆる「道行」とは、まさに「魂をすり減ら […]

「浮世風呂」(式亭 三馬)

  やはり定期的に古典を読まないと、どうも落ち着かない。 そういえば江戸の戯作の類にはあまり縁がなかったので、 滑稽本の代表作『浮世風呂』を読んでみることにした。 全編ほぼ会話のみで成り立っているので、 軽快・痛快であることはもとより、 当時の文化や風俗に関する情報が盛り沢山であるため、 知識面での興味にも事欠かない。 個人的に特に気になったのは、 1.江戸の話し言葉について 2.当時の […]

「中国古典文学大系22 大唐西域記」(玄奘)

たしか今年の2月ぐらいから読み始めた気がするので、 かれこれ半年以上、 就寝前とかに時間を見つけて、ちびちびと読み進め、 ようやく読了した。 言わずと知れた『西遊記』のモデルともなった玄奘の旅行記なのだが、 肩すかしを喰らったというか、 どうやら大きな勘違いをしていたことに途中で気付いた。 いくら中国側の許可証があったといっても、 中国からインドまでの陸路の道のりは、 砂漠、山脈、密林、猛獣、山賊 […]

「中国名詩集」(井波 律子)

  同じく井波律子さんの「中国名言集 一日一言」とペアになるような本。 名詩と呼ばれるものから、マイナーな作品まで、 唐代以降の詩人82人の137首を、ジャンル別に紹介したアンソロジーとなっている。 漢詩の鑑賞というのは、 まず白文を眺めてだいたいの意味を掴み、次に読み下し文でリズムを味わい、 そして注釈を読み、さらに現代語訳で細かな意味を理解し、 再度読み下し文に戻って、意味を分かった […]

「中国名言集 一日一言」(井波 律子)

  十代の頃から古文・漢文が好きで、 大学もその道に進んだ。 好きなのは今も変わらないが、 何に惹かれるのかを考えてみると、 ひとつには音律の美しさ。 現代文にはない、韻文的な魅力がある。 でも何よりも大きいのは、その内容の深さだろう。 どちらが良いとか悪いとかではなく、 あきらかに古代人は現代人よりも、人生について考察していた。 現代ならばググれば一瞬で済むことを、 昔の人は何日も何年 […]

「太平記(六)」(岩波文庫版)

  「南総里見八犬伝」「源氏物語」、 そしてこの「太平記」は、長さ、スケールにおいて、 我が国の古典文学の中で群を遙かに抜いている。 「源氏」は学生時代に読破した。 「太平記」はようやくこれで読み終わったから、 残るは「八犬伝」。 これは老後の楽しみにとっておこうと思う。 岩波文庫版での完結となるこの第六冊は、 第三十七巻~第四十巻を収める。 一応は史実に基づくという立場をとっているため […]

「太平記」の鎌倉を歩く(その5)

(その4からの続き) 三月ではあるが、まだ日は長くないので、次の目的地へと急ぐことにする。 ※書くのも先を急がなくては、記憶が薄れてしまう。 正午前に「鎌倉五山 本店」で建長饂飩(けんちんうどん)をいただいたきりで、 今まで水分すら摂っていないことに気付き、 とりあえず一休みすることにした。 小町通りにある、「カフェロマーノ」。 飢えと渇きのせいか、自家製のケーキと珈琲がやたらと旨い。 器やコーヒ […]

「太平記」の鎌倉を歩く(その4)

(その3からの続き) 鎌倉宮を後にし、西へと戻る。 若宮大路の一本東の道を南下し、200~300mほど歩くと案内板がある。 次の目的地は、鎌倉幕府最後の執権、北条高時が新田義貞に攻められ自害をした場所、 通称「高時腹切りやぐら」である。 そもそも「太平記」の史跡を歩くということ自体が、 人の死の跡を訪れることだという認識はあったが、 やはり血腥い処が続くな、、、という思いはある。 観光客などほとん […]

「太平記」の鎌倉を歩く(その3)

(その2からの続き) 源氏山からの下りも、化粧坂に劣らぬ”古風な”道。 しかも長い。 ここを抜ければ、鎌倉の中心部に出る。 おそらく義貞軍も通ったであろう。 最後は、一人がやっと通れるぐらいの隙間をくぐると、 寿福寺の裏手の墓地に出た。 黄泉の国の長い暗道を抜けて、この世に戻ってきたイザナキは、 きっとこんなカタルシスを体験したのだろう。 何となく、ホッとした。 そのまま寿 […]

「太平記」の鎌倉を歩く(その2)

(その1からの続き) 化粧坂を登りきると、そこはかつて八幡太郎義家が奥州征伐の祈願をした場所ということで、 源氏山公園と呼ばれている。 源氏嫡流である新田義貞が、ここをベースとして鎌倉を攻めたのも、 縁なきことではあるまい。 思った以上に高台になっているので、 ここから巨福呂坂の合戦の様子が見えたかもしれず、 やはり義貞はここに居て兵を動かしたであろうことは間違いないのではなかろうか。 この源氏山 […]

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