小説

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「第三阿房列車」(内田 百間)

百間先生との阿房列車の旅も、いよいよこれで最後となった。 この「第三」では、作家としての百間先生の凄味というか、 とにかくウマい、と思わせるフレーズがぎっしりである。 「いい加減の時にいい加減に寝て、 空中から垂れた褌(ふんどし)に頸を巻かれたような気がして、目をさました」(長崎阿房列車) 「後に旅館を開いてから、私なぞが遠い所をフリクエントする」(同上) 「小綬鶏かしら、と言ったが、小綬鶏はもっ […]

「第二阿房列車」(内田 百間)

  阿房列車の旅は続く。 この「第二」を読み始めて気付くことは、 「第一」と比べて、文体が硬質というか、格調高くなっているというか、 とにかく前作とは違う。 例えば、上越線のことを説明するくだりの、 線路は一本の弦であり、途中の清水峠はそれを支える駒、 そこを通る列車が大きなソナタを奏でる、というフレーズなんかは、 読んでる方が恥ずかしくなるぐらいの詩的表現である。 それも含めて百間先生 […]

「第一阿房列車」(内田 百間)

  百間先生が、相棒のヒマラヤ山系とともに、 鉄道で全国を無目的で旅するエッセイ風小説。 この「阿房列車」シリーズは、 鉄道マニアの間では聖典の如き扱いを受けていると、 以前どこかで聞いたことがある。 なるほど、ここに書かれている百間先生の旅には、 ことごとく目的がない。 それは単に長時間列車に揺られることで、 非現実の空間に浸りたいという、欲望むき出しの「移動」である。 そして列車の中 […]

「贋作 吾輩は猫である」(内田 百間)

  猫シリーズの最後は、百間先生のこの作品。 言うまでもなく、オリジナルの「吾輩は猫である」は、 猫が甕に落ちて、念仏を唱えながら溺れるシーンで終わるわけだけれど、 そこには猫が死んだということは書かれていない。 (猫自身が語り手なのだから当たり前だが) それを逆手にとって、猫が首尾よく甕を脱出して、 「五沙弥」という新たな主人の家に潜り込むという場面から始まるのが、この「贋作」で、 漱 […]

「吾輩は猫である」(夏目 漱石)

  ホフマンのムル猫に続いて、 いよいよ本命の漱石先生の猫である。 たぶん読むのは3回目ぐらいのはずだが、 おそらくどれだけ読んでも面白さは格別で、 今回も満員電車で他人に体重を預けながら読み耽り、 途中で何度も笑いそうになった。 もしそのまま笑っていたら、 満員電車の中に、僕の周りだけはぽっかりと空間が生じていたことだろう。 しかし冷静によむと、小説としては奇妙な作品なのである。 第一 […]

「牡猫ムルの人生観」(ホフマン)

  ドイツロマン派の文学なんて僕の趣味ではないのだけれど、 これを読もうと思った理由はただひとつ、 漱石先生の「猫」を味読しようと思い、であるならば、 「猫」執筆当時からその類似性が何かと問題になっていた、 ホフマンのこの作品をまずは読んでみようと思ったわけ。 ホフマンの「猫」は、構成からして奇妙で、 牡猫ムルが語るパートと、楽長クライスラーの物語のパートとが、 混ざり合って交互に出てく […]

「明暗」(夏目 漱石)

漱石を読み直そうプロジェクトも、 一旦ここまで。 最後を飾るのは、 もちろんこの「明暗」以外にあり得ない。 漱石というと、我が国を代表する文豪、大御所という印象が強く、 老年まで活躍していたと勘違いしがちであるが、 享年50歳。 決して長い人生ではなく、 しかも作家として活動したのはわずか10年ほどに過ぎない。 その漱石最後の作品が「明暗」であり、 執筆途中に亡くなったため、未完であるのだが、 作 […]

「坑夫」(夏目 漱石)

漱石を読み直そうプロジェクトの第二弾。 「坑夫」は漱石の作品ではマイナーな方だけれども、 十代の頃、この小説が大好きで、今改めて読んでみても、 新鮮さは失われていなかった。 漱石という人は、 作家の視点(立ち位置)をどこに置くかということに関して、 ものすごくこだわった人だと思う。 つまり、いかに客観性を保ちながら、 人物に内面を語らせるか、ということを工夫していて、 それが結局は猫の視点になった […]

「彼岸過迄」(夏目 漱石)

漱石先生を読まなくなって、もう20年以上にもなる。 そろそろ読み直しておこうと、ピックアップしたのが、 「坑夫」「彼岸過迄」「行人」「明暗」。 その第一弾である。 敬太郎を主人とする前半までは、正直あまり深みのない、 「通俗小説」ともいえる内容である。 それが、須永と松本の独白となる後半になると、 内容が急に重くなり、漱石先生お得意の、仕事・生活・恋愛・結婚といった、 明治の知識階級にのしかかる日 […]

「百鬼園随筆」(内田 百?)

個性派揃いの漱石先生門下の中でも、 特に異彩を放つのが百閒先生。 師の「猫」の軽妙洒脱な路線を、 向う見ずに突っ走らせたような文章が、 この随筆で堪能できる。 百閒先生は、僕が想像していたよりもかなり私生活、 特に金銭に関してはルーズだったようで、 別に金持ちの放蕩の話を読んでも面白くはないが、 百閒先生の場合、借金のループの話、これを貸す側と借りる側の立場から書いていて、 これが頗る面白い。 借 […]

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