国立新美術館

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「オルセー美術館特別企画 ピエール・ボナール展」(@国立新美術館)

ボナールは個人的に好きな画家のひとりなのだが、 その特徴は?と問われるとなかなか難しい。 セザンヌ、マティス、ドガ、モネ、ルノワール、ゴッホ・・・、 とにかくボナールは、いろいろな画家の特徴を盗んだような作品が多いのだ。 おそらく彼の中で、他の画家たちの表現技法を模倣しながら、 自分なりの世界を探っていたのであろう。 通常の画家であれば、晩年になるに従って自分のスタイルというものを確立し、 ひと目 […]

「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」(@国立新美術館)

快晴のゴールデンウィーク最終日。 さぞかし混むだろうと覚悟して出向いたのだが、 若干時間が早かったせいか、割とゆっくりと鑑賞できた。 個人のコレクションで、ここまでの名品を揃えられるというのは、 経済力も勿論のことだが、やはり目利きが素晴らしい。 紹介したい作品はいくつもあったが、 その中でも個人的に気に入ったものを紹介しようと思う。 ・「サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂、ヴェネツィア」( […]

「ジャコメッティ展」(@国立新美術館)

アーティストがモノと対峙したとき、そこに何を感じるのか。 カタチ、色、光、そして影、 時代によっても、また絵画なのか版画なのかという手法によっても、 それは異なってくるだろう。 それが彫刻である場合、大半の作り手たちは「カタチ」を意識していたに違いない。 いや、そうであるからこそ、彫刻という表現手法を選択したのだとも言える。 しかし、ジャコメッティという彫刻家については、 すべての感性が「線」であ […]

「ルノワール展」(@国立新美術館)

チケットはだいぶ前に買ってあったのだけれど、 ここのところ、休日出勤だったり色々と忙しく、 ようやく足を運ぶことができた。 というか、振り返ってみれば、 最後に美術展を鑑賞したのが、ゴールデンウィーク中の若冲展だったから、 二か月以上、絵画鑑賞を離れていたことになる。 鑑賞眼が鈍っていないか、心配なところではあったが、 そこは目に優しいルノワールでちょうどよかった。 さて、最近つくづくと考えていた […]

「はじまり、美の饗宴 すばらしき大原美術館コレクション」(@国立新美術館)

これは美術に限らず、音楽でも文学作品でも同じなのだが、 よく知った作家の作品に触れて、 あぁ、やっぱりすごい、ここが素晴らしい、と感じることはもちろん素敵な体験なのだけれども、 今まであまり親しんでこなかった作者の作品を目の前にして、 その異質なエネルギーというか、聴きなれないメロディというか、 「新たな美」のようなものを全身で受け止めて感動してみるというのも、 それ以上に重要な体験である。 大原 […]

チューリヒ美術館展(@国立新美術館)

印象派以降の著名な画家の作品が多く、 期待以上に内容の濃い展覧会だった。 例によって、心に残った作品を挙げていこう。 ・ピエール・ボナール「庭に憩う家族」 やはりボナールの作品は、いつ見てもその高い技量に唸らされる。 この作品について言えば、 奥行きを求められる風景なのにもかかわらず、 敢えて遠近感を殺していったん対象をバラバラにし、 平面の上に色彩だけで、それらを再構成している。 上の画像で見る […]

「オルセー美術館展」(@国立新美術館)

夏の間は、2~3時間待ちとかだったようなので、 涼しくなってから行こう、と思っていたら、開催終了間際になってしまった。 3連休中ということもあったので、混雑を覚悟していたけれども、 入口で10分ほど待っただけで、あっさり入場できた。 でも案の定、中は入口に近ければ近いほど混雑。 いい加減、行列をして絵を鑑賞するのはみっともないですよ、と、 誰かが教えてほしい。 さて、昨夏に実際にオルセーには行った […]

「第16回文化庁メディア芸術祭」(@国立新美術館)

ツールの発達した現代においては、 筆と絵具で描いた絵こそが芸術で、コンピュータによるグラフィックは芸術ではないのか、 という議論が、当然生じてくる。 そこで登場した、苦肉の策の造語が、この「メディア芸術」というもの(なのかな・・・たぶん)。 科学やエンターテインメントの領域だけでなく、 芸術の分野でも、コンピュータの存在は、もはや無視できないものとなっている。 かつてのように、生活の糧を得るために […]

「大エルミタージュ美術館展」(@国立新美術館)

行こう、行こうと思いながら、結局開催終了前日。 しかも3連休の2日目、空は晴れ渡りすぎて、混まないはずはない、という日になってしまった。 ただ自分は、一から順に並んで鑑賞するタイプではないので、混んでいようといまいと、実はあまり関係がない。 それに、混雑の中に割り込んでいくというずうずうしさも、多少ながら備えている。 (それにしてもいつも思うのだが、絵を離れて見ている人たちは、一体何を見ているのだ […]

「セザンヌ-パリとプロヴァンス」(@国立新美術館)

究極の具体は、抽象へと昇華される。 絵画の転換点は、ニュートンによる光の分解にあった。 それまで単なる「一筋の光」だったものが、物理学の天才の手により、幾色にも解きほどかれることになる。 絵画の分野では、印象派がその流儀を引き継いだ。 マティスやピカソはさらに一歩踏み込んで、色や形を、「故意に」分解してみせた。 「故意」ではないものが、純粋なる真実を捉えることを、セザンヌは証明してみせた。 風景、 […]