ピアノ

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ピアノ練習メモ(その5)

トッカータの次はショパンにしようか、、と前回書いたのだけれども、 悩んだ挙句、結局決めたのは、 スクリャービンの「12のエチュード Op.8」の12番、 ホロヴィッツがよく弾いてた嬰二短調のやつ。 まだ3分の2ぐらいまでしか弾いていないのだが、 臨時記号にさえ戸惑わなければ、 実はそれほど難しくないんじゃね、、という印象。 黒鍵が多いと、譜面的には難しく見えるのだけれども、 慣れれば割と弾きやすか […]

ピアノ練習メモ(その4)

年内の目標としていたバッハの「トッカータ ハ短調 BWV911」が、 いよいよ暗譜も終わり、細部に磨きをかける段階に入ったので、 そろそろ次の曲を、、と考えるのが楽しい時期になってきた。 「永遠なるバッハ愛」(?)を誓ったので、 次は『平均律』1・2巻の全曲を弾こうと決めていた。 ただ、1巻は10代の頃にそこそこ弾いたので2巻から始めたとして、 毎月プレリュードとフーガをセットでこなしたとしても、 […]

ピアノ練習メモ(その3)

2月ぐらいから練習し始めた、バッハの「トッカータ ハ短調 BWV911」。 何とか形にはなってきたので、 そろそろ暗譜をしながら細部を詰めることにしよう。 この曲を弾くためにピアノを再開したといっても過言ではないし、 年内には完璧にしたいと思う。 それにしても、バッハならではの調性の微妙な揺らぎをみせながら進行していく、 フーガ部分の美しさは格別である。 とにかく年内はこの曲以外には浮気をしないこ […]

ピアノ練習メモ(その2)

「フランス組曲第3番」は、 予定どおり何とか2017年中に最後までいけた。 前回の続き的には、 メヌエットとジーグ。 特にメヌエットは、ⅠとⅡ(トリオ)の対比が面白く、 いかにもバッハの組曲という感じだ。 あくまでもリハビリ用として選んだ曲なので、 8割ぐらいの出来ではあるが、一旦終わりにしようと思う。 2018年の目標は、同じくバッハの「7つのトッカータ」。 先日、注文した譜面も届き、 いきなり […]

ピアノ練習メモ

ピアノが届いてから3週間ほど経った。 リハビリとして採用したバッハの「フランス組曲」の第3番。 アルマンドはほぼOKかな。 息の長い流れるような旋律が、弾いていてとても心地よい。 16分の合間に現われる、符点8分に適度に装飾を施す。 クーラントは、和音が多くて苦手なタイプな曲。 たぶんハープシコードだとあまり意識しないのだろうけれど、 ピアノだと、何というか鳴らしづらいというか、 要するにそこが未 […]

約25年ぶりのピアノ

  ついに、我が家にも新しい家族が。 電子ピアノだけど、タッチがそれなりなら、特に問題はない。 大学入試の直前まで、ピアノは習っていて、 平均律の第一巻も終えたし、 「皇帝」「幻想即興曲」「イタリア協奏曲」「ラ・カンパネラ」 あたりも弾いていたので、腕にはそこそこ自信はあったのだが、 なにせ、約25年ぶりである。 またピアノを弾こうと思ったのも、とにかくバッハが弾きたいからで、 なので、 […]

バッハ「イギリス組曲」

先日、チェロの先生と、 バッハのイギリス組曲第3番の「ガヴォットⅡ」(ミュゼット)は、 なぜアウフタクトで始まるのか、というマニアックな議論になり、 とりあえずyoutubeで聴いてみたところ、 もしかしたら、その前から続けて演奏される「ガヴォットⅠ」がアウフタクトだから、 それと合わせるために、「ガヴォットⅡ」もそうなのかも、、 という推察で終了となった。 もちろんそのままでは気持ちが悪いので、 […]

リスト「巡礼の年 第1年:スイス」

10代の頃は、音楽と文学に耽溺していて、 そのせいで高校を卒業し損なった。 音楽に関して言えば、好きな音楽はたくさんあったのだけれど、 10代の頃の人格形成に大きく関わった音楽といえば、 ベートーヴェン、マーラー、そしてリストだろうと思う。 リストについては、弾くのはともかく、 聴くことに関してはそれほど好みではなかったのだけれど、 あるとき、「巡礼の年」の第1年・第2年を聴いてから、 思春期の僕 […]

「トッカータ Op.7」(シューマン)

昔はシューマンという作曲家が苦手で、 例外的に好きだったピアノ協奏曲以外は、ほとんど聴かなかった。 理由としては、とにかくつかみどころがない。 甘いメロディが現れたかと思うと、急に止まったり、 あとは何と言っても、ピアノ曲が弾くのに難しすぎる!! 同年生まれのショパンとはよく比較されるけれども、 「流れるショパン」に対し、「沈み込むシューマン」とでも言おうか、 ショパンが横ならシューマンは縦、 勿 […]

ヴァン・クライバーンを聴いて思ったこと

アメリカが生んだ英雄的ピアニスト、ヴァン・クライバーン。 テキサスの田舎から、冷戦真っ只中のモスクワへ乗り込み、 フルシチョフの前でチャイコフスキーコンクールに優勝するという離れ業は、 いわゆる「アメリカン・ドリーム」という言葉以上の価値を持っていたことは間違いなく、 そしてそれを、自他共に認めていただろうことも疑いない。 彼がコンドラシンの指揮とともに演奏したチャイコフスキーのコンチェルトは、 […]

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